「光る君へ」と読む「源氏物語」第29回
第二十九帖 <行幸 みゆき>
愛子さまは、10月10~12日に初の単独地方公務で佐賀県にお出ましになり、300年の伝統のある手すき和紙の紙すきを御体験、23歳となられた12月1日の御誕生日には、佐賀で作られた和紙を御手に取っておられる映像が公開されました。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20241012/k10014608321000.html
12月1日放送「光る君へ」第46回は、まひろが大宰府から船で、現在の佐賀県・松浦(まつら)に向かおうとして、刀伊の入寇に出くわします。
「光る君へ」第24回で亡くなったさわ(野村麻純さん)がまひろに宛てた歌
ゆきめぐり あふを松浦(まつら)の鏡には 誰をかけつつ 祈るとか知る
行きめぐり 会うを待つという松浦の鏡の神には 誰を心にかけて祈っていると あなたはお思いかしら
「玉鬘」の帖で玉鬘に求婚した大夫監の歌
君にもし心違はば 松浦なる鏡の神をかけて誓はむ
君にもし心変わりをしたら どんな罰でも受けようと 松浦の鏡の神にかけて誓いましょう
「紫式部集」に収められた「筑紫へ行く人の女(むすめ)」という紫式部の友人の歌を引用したさわの歌と、大夫監が詠んだ歌に登場する松浦の鏡の神は、佐賀県唐津市の鏡神社のことで、御祭神は神功皇后。
『式子内親王とその和歌の研究』という題で卒論を書かれ、平安文学に造詣の深い愛子さまが「光る君へ」放映の年に『源氏物語』と神功皇后ゆかりの地で和紙を漉かれたのは、連綿と続く日本の文化と歴史を活き活きと未来へと繋いで下さったようで、佐賀県の方はいつまでも誇りにされることでしょう。
今回は貴い方のお出ましによって人々の運命が変わるさまをみてみましょう。
第二十九帖 <行幸 みゆき (帝が出かけること。玉鬘と光る君の歌で行幸と深雪・みゆきが掛詞になる)>
光る君は玉鬘のために何とか良い方へとあれこれ考えつつ「音無しの滝(京都・大原にある滝 滝の轟音でかき消されてしまう僧侶の声明が、修行を重ねると声明のみが響くようになったことが名の由来)」のように、秘めた想いが心の中に流れ続けていますが、軽々しい浮き名を流して内大臣に婿扱いでもされたら、みっともないことになると思い返すのでした。
その年の十二月(新暦で一月頃)、大原野(おおはらの)への行幸があり、世の人はこぞって拝見しようと大騒ぎ、六条院からも女性たちが牛車で出かけています。雪がわずかに舞い降りて、道中の空の色さえ風情があるなか、玉鬘も出かけてゆきました。たくさんの人々の綺羅の限りを尽くした容貌をみても、赤い衣を纏った帝の麗しく端正な横顔に比べられる人などはいません。光る君の顔とは見分けがつかないほど似ていますが、帝はさらに威厳があって立派です。
蛍の光で惑わされた兵部卿宮の姿もみえます。髭黒の右大将もいましたが、色黒で髭が濃く、玉鬘はどうにも好きになれません。光る君が考えた末に「帝へ仕えるように」と伝えていたので、玉鬘は怯んでいましたが「寵愛を受けるのではなく、通常の宮仕えとして帝にお目通りが叶うのならば素晴らしいこと」と心惹かれるのでした。
翌日、光る君は「昨日、帝を拝されましたか?宮仕えにはお心が向きましたか?」という文を玉鬘に届けます。「よくもまあ私の気持ちを推し量られたものだわ」と玉鬘は思いつつ歌を詠みました。
うちきらし朝ぐもりせしみゆきには さやかに空の光るやは見し 玉鬘
霧立つ朝曇りに雪さえ舞う行幸では あざやかに空の光、帝の御姿を拝せましょうか
光る君は玉鬘の歌を見た紫の上に「宮仕えを勧めたのですが、秋好中宮がいるので、こちらで娘分として扱うには具合が悪いし、内大臣が事情を知ったとしても、あちらには弘徽殿女御がいるからなどと、玉鬘は悩んでいるようです。若い女性で、誰にも気がねしないですむならば、帝を少しでも拝して宮仕えをしたくないという人はいないでしょう」と伝えます。
「まあ、いやなこと。帝が素晴らしいと思ったとしても、自分から宮仕えをしたいと願うなんて出過ぎたことでしょう」という紫の上に「いや、そういうあなたこそ、帝を恋い慕われるだろうね」などと光る君はいって、玉鬘にまた文を書きました。
あかねさす光は空にくもらぬを などてみゆきに目をきらしけむ 光る君
美しき日の光が空に曇りなく照るように輝く帝の御姿を なぜ雪に目を曇らせ御覧にならなかったのでしょう
光る君は、玉鬘に宮仕えを勧めつつ、その前に裳着(もぎ 女性の成人式 裳は平安時代以後、貴人の前に出る際に女房が着る装束で、表着や袿の上に、腰部から下の後方だけにまとい、腰紐で結ぶ)をすませなければと思っています。必要な調度として立派な品々を新しく作らせ、年が明けた二月(新暦で三月頃)に裳着を行う際に、事情を知らせようと決心して、内大臣に腰結(こしゆい 袴着や裳着の時、腰紐を結ぶ人)の役を依頼する文を出しました。内大臣からは、大宮が病気がちなことを理由に辞退の返事が来たので、光る君は大宮が亡くなる前に事情を打ち明けようと見舞いを兼ねて三条宮を訪ねました。
大宮は、夕霧と雲居の雁のことで光る君が訪ねてきたのだと思っていました。ところが光る君が引き取って尚侍(ないしのかみ 内侍司の長官 平安時代には女御・更衣に準じて後宮に入ることもあった)として宮仕えさせようとしている娘が、実は内大臣の娘だったと聞いて驚きます。
光る君が大宮を訪ねたと聞いた内大臣が「お菓子やお酒を差し上げて、おもてなしするように。私も参上するべきところだが、かえって大げさになってしまうから」と言っているうちに、大宮から「光る君が直接お会いしてお耳に入れたいことがあるようです」と文が届きます。「何ごとだろう。雲居の雁と夕霧の中将のことだろうか」と思った内大臣は「とにかく参上して、その時の様子に従おう」と決心して三条宮に向かいました。
光る君との久しぶりの対面に、内大臣は昔のことが思い出されます。差し向かいになると、互いに懐かしさが蘇り、心の隔てがとれて話が弾むなか、光る君は玉鬘のことを仄めかしました。内大臣は驚き、泣きながら、娘までなした恋人・夕顔のことを話した雨の品定めを思います。泣いたり笑ったり、内大臣と光る君はすっかり打ち解けるのでした。
「裳着の日に、必ず六条院にお越しください」という光る君と約束した内大臣は、玉鬘に早く会いたいと思いますが「光る君が娘に手を付けずにいるわけがない。六条院の女性たちを憚ったり、世間体を考えたりして、事情を打ち明けたのだろう。悔しいが、こちらから娘を光る君に差し上げても世間体の悪いことではない。宮仕えをする方が弘徽殿女御の思惑もあるだろうし、面白くないが、ともかくも光る君の決めたことに従おう」などと、あれこれ考えています。
二月十六日(新暦で三月二十頃)は彼岸のはじめで吉日なので、この日に裳着を行うことになり、光る君は玉鬘に内大臣に事情を打ち明けた様子や、裳着の心得などを話します。「実の親でもこれほどの心遣いはしてもらえないだろう」と玉鬘は思いながらも、やはり実の親子として内大臣と会えるのを嬉しく思います。
光る君から事情を伝えられた夕霧は「おかしなことがいろいろあったけれど、それならば無理もない」と思い合わせます。つれない雲居の雁よりも玉鬘の美しい有様が思い出されて、事情に気づかなかった自分が愚かだったと後悔する夕霧ですが、やはり心を移すのは有るまじきことだと思い返すのは、世にも珍しいほどの真面目さでしょう。
内大臣は、裳着の日は早めに六条院に入り、光る君が心を込めた儀式を恐れ多く思いながらも、やはり奇異に感じます。亥の刻(午後十時前後の二時間)頃に御簾の内に入った内大臣は、玉鬘の顔を見たいと思いますが、今夜すぐに見るのは急すぎるだろうと、裳の腰紐を結びながら涙を堪えきれません。
親王たちをはじめ、人々が集まるなか、玉鬘に思いを寄せる人も沢山いましたが、内大臣が御簾の内に長く留まっているのを訝しく思います。内大臣の長男・柏木の中将や、次男・弁少将は事情を知って、人知れず恋心を抱いていたのにと辛がったり、美しい姉をもって嬉しがったりしています。
蛍兵部卿宮は「裳着が済んだので、もう結婚を先延ばしにするような口実もないでしょうから」と熱心に言いますが、光る君は「帝から尚侍にとの御内意がありましたので、一応は遠慮して辞退申し上げて、さらに何と仰せ言をいただくかによって他のことは考えましょう」と答えました。
玉鬘のことは評判となり、さがな者(困り者)の近江の君も知ってしまいます。弘徽殿女御の前に柏木や弁中将が控えているところへやってきて「父上は、また娘が出来て、やはり身分の低い方だとか。尚侍になるなんて。私が弘徽殿女御に宮仕えしているのは、お引き立てで尚侍にでもしてもらえると思ったからなのに」などと恨み言をいうので、皆、苦笑いして「尚侍の空きがあれば、私こそお願いしようと思っていたのに」「常識外れな望みですね」などと揶揄います。
「立派な方々の中に、私みたいなつまらぬ者が仲間入りするんじゃなかったわ。柏木の中将はひどい。お節介にも私を迎えに来たのに、軽んじて嘲るんだもの」と近江の君が腹立たしそうに目尻をつり上げたので「天岩戸を閉ざして、籠ってしまった方がいいでしょう」と柏木は言って去ってしまいます。近江の君はほろほろと泣いて「兄弟たちはすげなくても、女御さまはお優しいのでお仕えしているのです」と下働きの女房などがしないような雑役までして「尚侍に私を推してください」と催促しますが、女御は呆れて物も言えません。
内大臣は近江の君の望みを聞き、大笑いして「尚侍のことは、どうして早く言ってくれなかったのだね」と真面目な顔つきで言い「今からでも申し文を作って出しなさい」などと口車にのせると、近江の君は「和歌は何とか詠めますけれど、申し文は父上にお願いして、私は少し言葉を付け足すだけにしましょう」と両手で拝むようにして頼みます。几帳の後ろで聞いていた女房たちは死にそうなほど可笑しがり、内大臣は「気分が晴れないときは、近江の君を見ると、気が紛れる」と笑い種にしていますが、世間では「内大臣は自分でも恥ずかしいから、娘に恥をかかせているのだ」と噂しているのでした。
***
雪の舞降りるなか、蛍兵部卿宮、髭黒の右大将、冷泉帝が玉鬘の未来の可能性として並び立ちました。光る君に瓜二つの帝に一番心動かされる玉鬘。帝を見たら必ず関心を持つに違いないと踏んでいる光る君には、己の美しさへの自負と、玉鬘に疎まれていないという確信が仄見えます。
玄宗皇帝が息子の妃である楊貴妃を自分の後宮に迎え、親子で同じ女性を愛したように、光る君が玉鬘を息子・冷泉帝に仕えさせ、自分の疑似後宮に留めようとしているのは、秋好中宮には拒絶されてしまったリベンジなのでしょうか。桐壺帝から藤壺を、朱雀帝から朧月夜をかすめ取り、帝たちを繰り返しコキュにする光る君には、やはり隠れた帝位への願望があるのでしょう。
さて、「光る君へ」で話題となってきた「光る君」とは誰なのか。まひろと道長にとっては、お互いが輝く光でした。今回の「行幸」の帖の歌にも光が登場しています。
あかねさす光は空にくもらぬを などてみゆきに目をきらしけむ
「あかねさす」は茜色に鮮やかに照り映える意から「君(帝、主君、貴い方)」にかかる枕詞で光は帝を表しています。玉鬘を揶揄うこの歌を昨今の状況に準えると、男系固執派を表しているかのようにみえてきました。
天照大神の再臨としてお出ましになる愛子さまの輝きを なぜ目を曇らせ見ようとはしないのでしょう
右脳でオーラを感じられる「女性天皇」賛成の国民にとっては、愛子さまこそが輝く光、「光る君」といえるのではないでしょうか。
【バックナンバー】
第1回 第一帖<桐壺 きりつぼ>
第2回 第二帖<帚木 ははきぎ>
第3回 第三帖<空蝉 うつせみ>
第4回 第四帖<夕顔 ゆうがお>
第5回 第五帖<若紫 わかむらさき>
第6回 第六帖<末摘花 すえつむはな>
第7回 第七帖<紅葉賀 もみじのが>
第8回 第八帖<花宴 はなのえん>
第9回 第九帖<葵 あおい>
第10回 第十帖 < 賢木 さかき >
第11回 第十一帖<花散里 はなちるさと>
第12回 第十二帖<須磨 すま>
第13回 第十三帖<明石 あかし>
第14回 第十四帖<澪標 みおつくし>
第15回 第十五帖<蓬生・よもぎう>
第16回 第十六帖<関屋 せきや>
第17回 第十七帖<絵合 えあわせ>
第18回 第十八帖<松風 まつかぜ>
第19回 第十九帖<薄雲 うすぐも>
第20回 第二十帖<朝顔 あさがお>
第21回 第二十一帖<乙女 おとめ>
第22回 第二十二帖<玉鬘 たまかずら>
第23回 第二十三帖<初音 はつね>
第24回 第二十四帖<胡蝶 こちょう>
第25回 第二十五帖<蛍 ほたる>
第26回 第二十六帖<常夏 とこなつ>
第27回 第二十七帖<篝火 かがりび>
第28回 第二十八帖 <野分 のわき>
光る君と内大臣の久しぶりの対面、そして玉鬘が内大臣の娘であることが明かされたことや、玉鬘の宮仕えを巡って、いろんな人の心中に様々な波紋が広がっていく様が味わい深く、そんな中で一人だけ調子の違う近江の君がまた面白くて、本当にいいキャラだなあと思います。
さて『光る君へ』は、いよいよ明後日最終回。
非常に名残り惜しい気もしますが、『「光る君へ」と読む「源氏物語」』のシリーズはもちろんこの先も続きますので、どうぞお楽しみに!